オーマイガー東京

オーマイガー東京というブログを24歳東京暮らし新卒2年目のエンジニアが書いています。

【若造の自由論】第1章 この世界を規定する4つのメトリクス

あらすじ

以前、人生は暇つぶしだという趣旨の文を書いた。

そこでは、人生という存在を過大評価せず、そのものの大きさで眺めた時、我々は何か大義をもって生まれたわけでも、義務をもって生まれたわけでもなく、ただ自由であるという論旨でまとめた。(他の自由を侵さない限りという条件つきであることは何度でも述べたい)

 

詳しくはこちらを読んでもらいたい。

www.ohmg.tokyo

  

まぁ、要するに生まれたくて生まれたわけではない、強制的に発生したこの暇な人生を義務的に生きる必要などないという考えが私の根幹にある。

異論は受け付けたいし、聞いてみたい。

 

さて、あらすじはこれくらいにして、
上記の内容を前提に今回の表題についての考察を取り組みたい。

 

 

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僕らの自由はどこへ行った?

私が考えるところによると、我々は元来自由であるはずだ。
ところが、現実世界に立ち返って考えてみるとどうだろうか。

 

気づいた頃にはレールがあった。

気づいた頃には正しいこと、正しくないことが勝手に決められていた。

それは僕たちの意思とは関係なくそうであった。

疑う力を持たない幼少期。

彼らに僕たちは支配されていたし。

疑う力を持ち始めた青年期。

彼らは僕たちの疑いを権力で押し殺した。

 

そんな時期を経てようやく大人になった。
いや大人になったというより経済的に自立したという方が正しいか。

ついに僕たちは彼らに対抗できるようになった。

 

僕らの自由は、僕ら自身の手で勝ち取らなければならない

 

本来あらゆる人間に与えられるべきであった自由は彼らの都合によって、教育、弾圧、支配されもはや我々の手の中にない。

それは自らの手で勝ち取らなければならない。

 

これは、僕たちと彼らとの自由をかけた戦争である。
もちろん、戦争といっても殺しあうわけじゃない。

彼らによって巧妙に隠された自由を発見し、それを保有する術を獲得し、
この暇つぶしな世界生活を満喫するための自由独立戦争だ。

 

この暇つぶしの世界生活を満喫したい僕たちだけが勝手に戦って、
勝手に勝ち取るのだ。

 

なぜならば、自由はゼロサムゲームの対象ではなく本来一人一人に在るものだからだ。僕の1人分の自由はこの世界のどこかに厳然と存在している。それはもちろん君の自由もだ。

 

だから、心配することなく真剣に戦おう。
僕たちは誰の自由も奪わない。彼らとは違う。
僕たちは、自分1人分の小さな自由を取り戻す。

暇な時間は自分で楽しいものにするんだ。
誰かに任せた時点でもう我々の自由ではない。
自分で管理できるから自由なのだ。
やってやれないことはない。

 

この世界を規定する4つのメトリクス

彼らと戦うための武器を紹介する前に我々の中に共通理解を築いておきたい。
この世界には大きく4方向のメトリクスがある。
それは、

  • 好き・嫌い
  • 正しい・正しくない

である。

この4つの指標はこれから語る内容に大きく関わってくるので理解しておきたい。

 

"好き嫌い、正しい正しくない"とは?

僕たちはこの世界のあらゆる事象に対して、好き、嫌い、正しい、正しくないの4つの方向性で評価を下している。それは、意識的であっても、無意識的であっても同じことである。

そして、その好きと正しいは明確に分けて取り組むことが肝心である。
何故ならば、ここを混同してしまうとうっかり自由を奪う彼ら側になってしまうことがあるからだ。これから両者を説明するので、しっかりと覚えていってもらいたい。

自由を勝ち取るための戦争中に、誰かの自由を奪ってしまっては、
それはもうミイラ取りがミイラになってしまうあれになってしまう。

 

好きであるということはどういうことなのか?

好き嫌いに本来理由付けは必要ない。
君はその対象が好きだから好きなのであって、理由は全て後付けだ。

 

そして、また逆も然りで何がしかのきっかけがあったかもしれないが、
その対象のことが嫌いだから嫌いなのであって、
論理的にいくら好きになろうと考えたところで、どうすることもできない。

  

これはいったいどういうことなのかというと、"あなたの好き・嫌い"は完全に外的世界から守られている自由な主観的意識だからである。何からも評価される謂れのない純粋な主観的意識である。

あなたは誰のことを好きになってもいいし、どんな行動を好きになってもいい。
もちろん、誰かの自由を奪わない限りに置いてではあるが。
裏を返せば、誰かの好きを弾圧した瞬間にあなたは彼ら側になってしまうということだ。気をつけてくれ。

 

正しいということはどういうことなのか?

先ほどの好き嫌いに相対して、
正しさとはすべて論理的思考によってなされるものである。

 

ある対象があり、それに対して自身の立場から自身の正しさによって、それを批判することで、それは正しいとか、正しくないとか判断をすることができるのだ。
つまり、正しさとは自身の正しさとある対象との比較なのである。

 

比較とは、論理的な思考によってしか、なし得ない。
なので、

『正しさとは、ある対象を自身の正しさを持って比較する論理的な行為である』

 ということができるだろう。

 

そして、正しいは正しさによる比較の結果であるので、世界の正しいと思われていることは、あなたの正しさによって批判することができるということが分かる。

 

ワクワクしてきたことだろうと思う。

あなたが今正しいと思っていることが、本当は正しくないかもしれない。
甘んじて受け入れていることが、本当はそんなことしなくていいかもしれない。

 

先生が先生だから、上司が上司だから、親が親だから正しいという論理は、
あなたの正しさによって批判することができるのだ。

 

受け入れるな、考えよう。 

 

この章で覚えて置いて欲しいこと
  • 好き嫌いは、保証された僕たちの自由である。
  • 考えることで、僕たちは更に自由になれるかもしれない。 

 

自由独立戦争の中で有効な3つの武器 

僕たちのこの自由独立戦争において有効だと思える武器が3つある。

それは以下の3つだ。

  • 論理的思考力
  • 探検力
  • 財政力

これは、僕が考える自由独立戦争において強力な威力を放つ実践的な武器だ。

(前置きで書き疲れたので)具体的な説明は次回にしようと思う。

 

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