オーマイガー東京

オーマイガー東京というブログを24歳東京暮らし新卒2年目のエンジニアが書いています。

人生なんて暇つぶしだって考えたら人生変わった

人生なんて暇つぶしだ。
だから、もっと気楽に生きたらいい。

 

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暇つぶしで始めたマラソンなのに始めたからには42.195km、
本気で走りきらなければならないなんて言われたら、
「こいつは何を訳のわからないことを」と笑ってしまうだろう。同じことだ。
 
こんなことを言うとあなたは怒るだろうか?
 
「命を暇つぶし呼ばわりするなんて」と。
 
そう言いたくなる気持ちはわかる。
だが、考えてみてほしい。「生まれたい」と願い、誕生した生命が人類が誕生してから今日に至るまでに一つでもあっただろうか?
 
もしかしたら、胎児の記憶を持ち、生まれたいと思っていたよ!と言う方がいらっしゃるかもしれないが、では、胎児になる前に生まれたいと思っていたかどうか尋ねてみたい。
 
あるいは、輪廻の世界観を持ち、前世死ぬ時生まれ変わりたいと願い、なんやかんやあったけど、めちゃめちゃうまく行き、前世の記憶を持って生まれたという人がいるかもしれない。
 
そんな輪廻人には、ではその前世の前はどうであったか、さらにその前は?とどんどん遡って確かめていただきたい。
 
と、少し話がそれたが
まあこのように特殊な人類を除き、ほとんどの人は願って生まれてきたわけではないのだ。
 
では、なぜ頼んで生まれたわけでもないこの世界を必死に生きろだの、苦しんでこそ成長があるだの、訳のわからないことを言われなければならないのだろうか?
そのようにあなたに対してプレッシャーをかけてくる奴は一体何を知って、そんなことを言ってるのだろう?
 
本来、人は人に選択肢を与えることはできても、人の選択を強制することは出来ない。いや、あるいは仮に強制できる機会があっても強制してはいけない。と私は思う。
なぜならば、人の選択を強制することが出来るとするならば、あなたの選択も誰かに強制される可能性があるからだ。これはつまり自由を強制されることに他ならない。
私の決断を私の責任において決断できない場合、もう私は私が生きているとは言えないのではないだろうかと思う。つまり、自由を強制するということはある意味その人を殺すことといっても過言ではない。
長期的ではないにせよ、短期的に殺人を犯すことを許容することは出来ない。死というものに対する怖れを持つ人間には。

  

まぁしかし、どうにもこうにも生まれてしまったのだ。
そして、どうやら簡単に死ねないらしい。
生存本能による死への怖れが、死ぬ状況に追い込まれるまで何としてでも生きようとさせてくる。参ったものだ。
 
もしかしたら、ここで生きたくても生きられないやつがいるんだぞ。
何言ってるんだと思う方がいるかもしれないが、それは生まれた側の意見であって、
あくまで、生まれる前のフラットな状態に精神を置いて、考えてみてほしい。
 
ここまでのことを整理しておくと
 
・我々人類は自ら望んでもないのに生まれてきた
・どうやら死ぬまで死ねないらしい
 
という2点だ。

さて、この2点をある意味都合よく書き換えてみる。

 
・行きたくないのによく分からん世界に連れてこられた
・どうやら時間が来るまで帰れないらしい
 
これはそう。紛れもなく暇なのだ。
誰がなんと言おうとこれは暇なのである。
 
だからこそ、人生は素晴らしいとか、生まれたことに感謝とかそういうことは言わなくていいし、思わなくていい。
 
高校生の時、先生が急遽授業に来れなくなり、自習になった時間を想像してもらえればいい。
授業終了まで各自自習して、チャイムがなったら解散してよし。自習という名の自由時間である。
 
そんな時間と人生はあまり変わらない。
その時間をくれた先生に感謝するかといえば、どうだろうか?
別に自由時間なんていらなかったけど、もらえるなら自由に使わせてもらうというテンションだろう。
 
 
主体的ではなく、受動的に取得した時間などその程度のものだということだ。
だから、命を過大評価するのはやめてちゃんとした大きさで物事を捉えることだ。
そうしたら、しなければならないことや、そうでなければならないことなんてないことに気づく。
 
 
自習の時間であれば、その暇な時間をしっかり勉強してテストに備えるもよし、友達とお喋りして過ごすもよし、漫画を描いたっていいし、小説を読んだっていい。眠ってたっていい。
 
人生も同じことだ。
あなたが受動的に得たその人生という時間を使って、
 
世界の謎を解き明かしたっていいし、世界中を旅して出会いを求めてもいい。会社を興して、人類の社会システムをより良いものにしてもいいし、アルバイトしながら好きな人とのんびり暮らしたっていい。
何かを作りたい人は作ればいいし、何も作りたくない人は何も作らなくていいのだ。
 
今までの人類が努力し、受け継いで来たから今の便利な世の中があるんだぞなんていう意見もあるかもしれないが前提が間違っている。
 
生まれたくて生まれたんじゃない。
自由に生きることは、誰にも止められることではない。
 
こんな世界を自由に生きて何がいけないだろうか。
自由時間の使い方を誰が強制することができようか。
私の自由時間なのだ。
 
今までも、これからもあなたのことを、あなたの自由を
何とも言えないようなよくわからない理屈で奪おうとしてくる奴らがいる。
その人たちにだけは近づいちゃいけない。
 
そもそも、生まれたくなかったこの世界のことが、
嫌いになってしまうことになる。
 
何度でもいうが、我々は自由だ。
その守るべき自由を誰かにくれてやるな。
誰かの為に使ってやるな。
 
もし誰かの為に生きることが幸せに感じるなら、
それは自分のためであることを自覚するべきだ。
偽善で結構。気楽に生きてくれ。
 
逆に誰かの自由を奪った時点で、僕らの自由は保証されない。
言葉でも、行動でもそうだ。
奪った分だけ、僕らの自由は保証されない。
 
ただ、本来僕たちは自由である。
何をしたっていい、何歳で何をはじめてもいい。
どこに住んだっていいし、何を食べたっていい。
それは、0歳から100歳までずっと変わらない。
 
しなければならないこともない。
逃げたければ逃げればいいし、向き合いたければ向き合えばいい。
僕たちの未来は自由そのものだ。
 
とまあ、ここまで考えてみたのですが、
そう思って楽になるなら、そう思えばいいし、
譲れない何かがあるなら、それもまた真実だと思います。

僕なんかより頭のいい人たちが何千年もの歳月をかけて色々すでに考えてくれてるから、哲学の勉強してみるのも悪くないかもしれません。

最近ようやく読書の習慣がついて来て、読んでみたらめちゃめちゃ簡潔に説明してくれる哲学入門だったので、以下をオススメしておきます。

 
 

 

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

史上最強の哲学入門 (河出文庫)

 

 

 

 
では、最後に私の大好きなandymoriの曲を聞いてください。
 
安いウイスキーウイスキーウイスキーで
全部丸一日全部無駄にしてしまったってまた
take it easy
take it easy
またおんなじ声で繰り返してくれるんだろう